@article{oai:kanazawa-u.repo.nii.ac.jp:00028159, author = {関崎, 正夫}, month = {Jun}, note = {マッチは明治維新後輸入された点火物である。これを国内でも作ることを試みる人たちが現れた。この中で,金沢生まれの清水誠が東京で初めて量産に成功し,それまで輸入に頼っていたのを輸出に転じた。清水の工場では多くの人たちが働いてい た。これが維新で失職した武士の失業対策としても評価された。しかし,彼は材料として黄リンを用いていた。これは国外でも同様であった。黄リンは発火温度が低く,かつ猛毒である。作業者の多くが,あごの骨が融けるという奇病にとりつかれた。そして清水がヨーロッパへ行っている間に彼の工場は全焼した。この後,日本国内でも国外でも試行錯誤により,毒性の少ない,自然発火しにくい安全マッチの開発が進んで,現在に至っている。, 年月日:2006年6月17日(土)午後2時~3時30分, 場所:金沢大学サテライト・プラザ}, title = {マッチと清水誠:日本で初めてマッチの国産化をした人:清水誠}, year = {2006} }