@article{oai:kanazawa-u.repo.nii.ac.jp:00030438, author = {李, 慶}, journal = {言語文化論叢}, month = {Mar}, note = {AA11128602, 『老子』は中国文化の中に重要な地位を占めるが,その第一章をもって綱要とする。しかしそれは,二千年来の各種の抄本,刻本,景龍碑のような石刻によってさまざまな異同があり,解釈も大きく別れている。本論では,先学の整理と研究の上に立って,『老子』第一章,特にその第二段「口恒無欲也以観其砂恒有欲也以其所激」(馬王堆出土畠書『老子』甲種本)の句読について検討する。宋代以前の重要な版本については,版本学,言語学,思想史の角度から分析し,宋代以降,特に近代の易順鼎,前極,梁啓超,劉師培,馬叙倫,干省吾,陳柱,高亨,馮友蘭,朱謙之,厳霊峰,陳鼓慮,葉程義などの主張する説(「有」「無」の断句)の主要な三つの理由(1,古くからの句読〔畢〓『老子道徳経考異』〕2,文法・語法上の理由3,文脈からの理由〔厳霊峰『馬王堆帛書老子試探』〕)を検討して,「有欲」「無欲」と断句するべきを述べる。従って,『老子』第一章は伝統的に言われてきた「形而上」の問題ではなく,有無の問題と形而下の「欲」の問題も兼ねているのである。『老子』第一章の解釈は,専ら「有」「無」の観点からなされてきたが,これは後世の闡釈の結果である。このような解釈も,もとより偶然ではなく,そこには時代思潮が反映されている。, 金沢大学外国語教育研究センター}, pages = {159--172}, title = {論考・研究ノート: 「有」「無」かそれとも「有欲」「無欲」か : 『老子』第一章の句読について}, volume = {2}, year = {1998}, yomi = {リ, ケイ} }