@article{oai:kanazawa-u.repo.nii.ac.jp:00031713, author = {河原, 栄 and 佐久間, 大輔 and 加藤, 克 and 赤石, 大輔 and 古畑, 徹}, journal = {金沢大学資料館紀要 = Bulletin of The Kanazawa University Musium}, month = {Mar}, note = {昨年度の金沢大学資料館紀要で、自然科学研究科の新校舎への移転に際して四高時代のきのこの蝋模型が発見され、角間の里記念館を経て金沢大学資料館に移管されることになった経緯を書いた。そして、蝋模型の多くが当時の皮膚科で教育用に作られた皮膚ムラージュと同様の技法で作られていること、東京大学医学部にも同じ標本が保存されていたこと、金沢大学への導入者はドクササコの新種記載を行った事で知られる理学部の市村塘であることが明らかになった。しかし、蝋模型の制作者と、それに続く金沢大学への流入経路が謎として残った。今回、引き続き全国的な調査を継続した中で、民間の教育標本制作者である山越長七郎が中心人物として浮かび上がり、東京大学医学部と密な接触があったことに加え、東大と四高のきのこ蝋模型の製作者であったことが明 らかになったので、ここに報告する。}, pages = {41--52}, title = {四高のきのこムラージュ第2 報 : 皮膚ムラージュの祖土肥慶蔵ときのこムラージュの達人山越長七郎}, volume = {7}, year = {2012} }