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20世纪前半期关西地区日本音乐的发展与其方向―通过歌曲家:菊田歌雄(第一代)和小野清友的活动
http://hdl.handle.net/2297/00056457
http://hdl.handle.net/2297/00056457a564dd6c-2c0f-4b50-b6b6-38a7f647f2d1
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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![]() |
Item type | 学術雑誌論文 / Journal Article(1) | |||||||||
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公開日 | 2019-12-24 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | 20世纪前半期关西地区日本音乐的发展与其方向―通过歌曲家:菊田歌雄(第一代)和小野清友的活动 | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | zho | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | journal article | |||||||||
著者 |
笠井, 純一
× 笠井, 純一× 笠井, 津加佐× 安部, 聡一郎(監訳)× 姚, 晶晶(翻訳) |
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著者別表示 |
Kasai, Junichi
× Kasai, Junichi
× Kasai, Tsukasa
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編者 | ||||||||||
値 | 赵维平 | |||||||||
書誌情報 |
第十二届中日音乐比较研讨会论文集 p. 141-156, 発行日 2019-11 |
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ISBN | ||||||||||
識別子タイプ | ISBN | |||||||||
関連識別子 | 978-7-5566-0413-5 | |||||||||
出版者 | ||||||||||
出版者 | 上海音乐学院出版社 | |||||||||
抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 菊田歌雄は、20世紀前半の大阪における著名な女性箏曲家であるが、「国民による、国民のための箏曲」を目指して活動していたと思われる。歌雄の養父:八重都は、箏曲、三絃、胡弓など日本古典楽器を彼女に教える一方、ピアノ、ヴァイオリンなども習得させた。また彼は、流派(継山流)の「伝授書」を日本・中国の古典籍によって大幅に改訂し、歌雄に授けている。彼は恐らく、日本音楽が西洋音楽に圧倒される姿をまのあたりにし、日本音楽が存続するためには、箏曲家も西洋音楽を学ぶ一方、日本音楽のバックボーンに東洋的思想を据える必要があると痛感したのであろう。歌雄は、箏曲を国民に普及させるため、1908年にヴァイオリン合奏用の 箏曲五線譜を刊行し、自らが役員を務める「当道音楽会」において、記譜法の統ーと統一楽譜刊行を推進した。1916年に大阪女子音楽学校箏曲科の教員に就任した。1919年には洋楽家や田辺尚雄にも呼ぴかけて「邦楽同志会」を設立し、箏曲界に新風を吹き込もうとした。 さらに1922年、宮城道雄らを 大阪に招き、「新日本音楽のタベ」を開催している。1934年には、菊原琴治らと共に、「箏曲振興期成同盟会」を結成し、箏曲を女学校の教科目とするよう、国会や文部省に陳情した。この運動は功を奏し、女学校の箏曲教員を養成する「箏曲音楽学校」が大阪に設立されて、 歌雄も教員を務めた。歌雄は、いかなる思索を経て箏曲界の改革を志向したのか。これを語る史料は殆どないが、彼女と志を同じくした岡山の箏曲家: 小野清友の活動から、その方向性を窺うことが可能である。本報告では両者の史料を紹介し、20世紀前半の関西における日本音楽の一側面を明らかにしたい。 | |||||||||
権利 | ||||||||||
権利情報 | ©上海音乐学院出版社 | 趙維平教授(上海音楽学院/2017上海会議御担当)より許可を得て登録 | |||||||||
著者版フラグ | ||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |